[(iv).入試現代文の勉強に特徴的な点―解説による自己検証] この現代文という教科の勉強で重要なのは 「問題を実際に自分の頭でじっくり考えて解いてみて、その後解説を読んで自分の解答のプロセスを修正する」 という、この過程を繰り返すことである。 ここで入試現代文の勉強できわめて特徴的なのは「解説を読んで自分の解答のプロセスを修正する」という部分である。 現代文の勉強においてはある程度の問題演習で経験をつむことが最低限必要であるが、 普遍的な法則がない以上、その都度その都度自分の解答法をチェックし、修正を加えていくしかないのである。 この自己検証の経験を積んでいくことこそ、現代文の成績上昇のためには必須なのである。 極端な話、結果的に出てきた答えよりも、解答するときにどれだけ自分の納得のいく解答のプロセスを積み上げたか、その方が重要ではないだろうか。 現代文では二度と同じ問題は出ないと言ってよい。そうである以上、答えを覚えても意味はなく、次に生かせる「経験」をどれだけ積んだか それが本番入試のためには重要だからである。 [(v).現代文が苦手な人の陥る悪循環] ところが、現代文の勉強に慣れてない人や活字を読むことに慣れてない人は、よくこの自己検証の過程の重要性を見落としてしまう。 「解説を読むのがつらい…」「解説を読んでも難しくてよく分からない…」と、解説をおざなりにしてしまいがちなのである。 ここが現代文初学者がつまずきやすい点である。 現代文が苦手な人が現代文の勉強をしようとする ↓ だが、現代文の苦手な人は活字を読むこと自体が苦痛である ↓ 問題文が読めないだけでなく、解説を読むこと自体も苦痛である ↓ 解説をまともに読まない ↓ 現代文が苦手なまま 現代文が苦手な人は活字を読むこと自体が苦痛のため、現代文の勉強の過程において、この悪循環から抜け出しにくいのである。 さらに言うと、>>1のサイトでも紹介されている『田村の現代文講義』や『現代文と格闘する』、『現代文のトレーニング』などの参考書は 昔から定評のある参考書でありつつ、一方で「解説が難しい・・・」という意見が多く出ているのは、 こうした現代文における独特の問題が関係しているためである。 そして、この悪循環から抜け出したいため 「私たちが普段使ってる日本語なんだから、今さら勉強しなくたっていいじゃん!」と勝手に思い込んだり、 「現代文なんてやっても無理…」だと思い込んで勉強を諦めたり、 耳当たりがよくで甘い言葉で人を釣る参考書に逃げたりしがちなのである。 [(vi).現実の直視] はっきり言おう。「現代文は、ある意味つらい教科である」と。 これまであなたが「読めなかった」ものを、なんとかして「読める」ようにするのである。 「無」から「有」に変えるのであるから、その変換に必要なエネルギーは皆さんが思っているよりずっと大きいと言わざるをえない。 だが、その現実から目をそらしていては何も変わらないのではないだろうか。 「現代文の勉強は大変だ」という現実から目をそらし甘い幻想を信じこみ続け、現実の本番入試で奈落に落ちるよりも、 この現実を直視し、それを克服しようと一歩一歩積み上げていく方がはるかに自分のためになるのではないだろうか。 現代文の成績は、勉強をしなければ決して上がらない。しかし、適切な方法で本番までコンスタントに積み上げていけば 確実に上がっていくのである。 <第0章> <第1章 入試現代文とはどういう教科なのか?> <第2章 入試現代文のためにはどう勉強したらよいのか?> <第2章 続き> <結語> 入試現代文概論 トップ